無事日記

本や映画や芝居やそこらへんの雑記です。

8月中旬 池袋西口公園の噴水が消えた

 今日は9時に起床。11時から渋谷のイメージフォーラムアピチャッポン・ウィーラセタクンの映画を見に行く。もはやこのまま映画の劇中と共に眠ってしまうのが一番心地よいのではないかと恍惚とスクリーンを眺める。

 終わってビックカメラでfinalのイヤホンと楽器屋でギターチューナー買い換えた。仕事が夕方から池袋だったので池袋に移動したら、西口公園の池が消失していた。なぜですか。悲しいです。

 西口公園の脇のサイゼリヤで遅い昼食。マルゲリータピザとタラコスパゲティを。隣の席の方が、ミラノ風ドリアとサラダをライスを食べており、最後にまるまるライスだけ残してライスだけ食べていた。

 仕事を終えて、小腹が空いていたので東口のスシローへ。うまいようまい。中トロを頼んで、中トロと赤みの中間みたいなのが来たら悲しいですね。

 最近は夏目漱石先生の「草枕」を読んでおり、使う単語が「三四郎」や「それから」とかよりもどこか小難しく選ぶモチーフもなにやらフィクションめいており、先生のまた違った一面を拝見しております。

 少し前にサングラスを買ったのだが、聞く人聞く人に不評だ。度付きで自分としては結構な買い物だったのに。地味に凹むが一夏に二つも度付きのサングラスを買うのも阿呆みたいなので、来年、また買うとする。誰に選んでもらうのが良いのか。ちなみに買ったサングラス「スパイみたい」と言われました。

 池田晶子「残酷人生論」。池田先生は厳しく、が故に明快で怖くて、そして優しい。背筋が伸びて顔が上がる思いがする本でした。

武田百合子「遊覧日記」

 まず、冒頭のヤエちゃんのエピソード完全にやられてしまう。一人で充実した遊覧を楽しむヤエちゃん。東京に身寄りも友達もいないヤエちゃんが何を思っていたのかはわからないが、外へと向けた興味やエネルギーの眩しさよ。そしてそれを感傷的にならず、そのまま受け取る百合子さん。

 行ってみたいと思えばいいし、行ったら楽しめばいいよと百合子さんにぽつりと言われてるようで、遊覧したくなる。百合子さんと同じ場所に行ってみたくなる。そこへ行ってぼんやりと過ごして何かを眺めているだけで良いような気がしてくる。

 この本の解説に書かれていた、百合子さんは本当に目がいいという話にうなずく。そして、かつ、ずっと見て居られる人だったのだとも感じる。ずっとじーっと見続けることは簡単なことではないと思う。目が合ったり、無意識にでも目が合うのを避けようと目を逸らす。または他のものへ興味がいって見るのをやめる。でも、百合子さんは気の済むまで見て居られる人だったのではないかなと思う。それは、自分で立って自分で見て自分で感じることが、生きる習慣になっていたということではないか。ますますファンになってしまった。

 自分も見ることを恐れずに、見たい。気の済むまで見て眺めれば良いやと思う。そしてその合間合間に忘れられない瞬間がやってくる。

 例えば「墨田川」の章で百合子さんは、日が暮れて提灯に灯をともらせて浮かぶ屋形船を見てこう書いている。

「私はわくわくし、こういう場合、俳句を作る人は一句浮かべるのだろうと思い、一句浮かべようとしたが浮かばず、ただわくわくするだけだった。私のお腹は、もう、さっきからの飲食で、ひょうたんのようになってしまっていた。」

 なんて豊かな瞬間なのだと思う。こういう瞬間を幸せと呼ぶのではないかと思うくらい。

 百合子さんの文を読んでいるとつくづく、何を見るかは問題ではないんだと気づかされる。何を見てもどこへ行っても何かが心に触れて感情が流れてゆくのだ。何を見ようと心は動く。この爛漫な素直さに魅かれる。何をしてもよいのだ。

自分のまなざしさえあれば。

 

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最近と確定申告

今は仕事で三重県にいる。先週は新潟だった。来週は兵庫県だ。

新潟は空気が冷たいけど、きれいで息をするのが楽しかった。ついこの間まで池袋で仕事をしていたので違いは歴然だった。三重では鳥Qという店で鳥を食べた。人生で一番おいしい鳥だった。

 

先日、確定申告をした。毎年、義務教育で税金の授業を必ずすべきだと思う。さあ今日は確定申告だと15時から始めようと意気込むが気がついたら17時になっていた。

うだうだしていたらアイフォンの修理から帰ってきた父がバタバタとバックロードを始めた。なにやら店でもらった、やり方が書いてある紙を見ているので、自分がやってあげる。「ああ、〇〇(おれの名前)がいてくれてよかった」などと言うので少し驚く。まあ、よほどアイフォンのバックアップがナーバスだったのだろう、ほっとしていた。

父はバックロードが終わり、Kちゃんと競馬の電話。お互い楽しそう。

そこから途切れ途切れの集中力で確定申告終わらす。

母が仕事から帰宅。疲れてるだろうに、その日は朝のラッシュの時に、老女に席を譲ったらしい。すごいです。

母はよくしゃべる。父もなんとなく答えてゆく。二人して五輪を見ていた。僕も混ざって一緒に見た。楽しかった。

五輪はマススタートが一番よかった。

 

この日は昼間に紀伊国屋書店によって本を物色した。武田百合子の「あの頃」があったので少し読んでみたら泣いてしまいそうだったのでやめた。

大きい本で高いので今は手が出ない。図書館に行ってみることにする。

Kindleで2冊ほど買う。

 

「スリービルボード」を観る。かっこいい女優だと思ったら「ファーゴ」のマージだった人だ。なんとなく合点がいく。

低温やけどしそうなお芝居に痺れる。この主人公を、どの程度血の通った人間として観てる側に寄せるかどの程度怪物として突き放して遠い存在として描くのか、好みは別れるだろうが、僕はもう少しドライに描いても好みです。ギリギリの湿度。この主人公が涙も流さなくて安心した。

デトロイト」が観たいので「ハートロッカー」を観た。「ゼロダークサーティ」の方が好きだ。この監督の作品はその場所の生活音や雑音を排除してないので、映画館でみたいのだ。もうすぐ終わってしまう。早く行かなきゃ。

武田百合子「富士日記 (上) 」のこと

富士日記を読んでいると、そこが夢の世界のようだ。ケータイもない、無駄なものがない。読み始めると、唐突に富士山麓の武田家にホームステイしている。絵葉書のような光景だと読み進めていくと、いつしか武田家のリズムに自分も慣れてきて、映画のように絵が動き出す。一緒に車に乗り、買い物をし、太陽を浴び、冷たい風を感じ、武田百合子さんの、武田家の、フィルムに焼き付いているような鮮やかな色彩の生活の時間を少しお裾分けしてもらってるような感じがする。

でもそれはロハスだとかナチュラル系だとかそんな輪郭の淡いものじゃない。時として俗っぽい感性も多分にありながら、自然とその中にある自分の燃える感情に正直に生き、その生を素直な言葉で綴っている。

武田百合子さんの文章はシンプルな言葉でありながら、その奥の濃い原色が見える。そのバランスがいろっぽい。

昭和四十一年一月二日の日記の最後の部分。

「 門の石柱に上がって、犬がいつもしれいるように、ぼんやりと見渡す。西に拡がるなだらかな雪の高原の果てに、ぽつり、ぽつり、と鳴沢村のくらーい灯が灯っている。一つだけずっと離れて、黒い山の中腹にも灯っている。黒い村有林へ消えてゆく真直ぐの白い道に、雪をえぐって走ったチェーンタイヤの、泥まじりの無惨な跡が二本続いている。心が真黒になってしまう。」

突然隠し持っていたナイフがギラリと光ったような、ドキッとさせられる切れ味の文章だ。

昭和四十一年四月五日の日記の最後の部分。

「 ポコはグリンピースの御飯を大喜びで食べる。動物が下を向いて御飯を食べているとき、その頭を撫でていると気が和む。しゃがんで動物に御飯をやるときが好きだ。

 夜、星空。」

春の富士山麓の空に広がる濃紺が目に浮かぶよう。満天の星のその下で、ちっちゃくしゃがんでいる百合子さんとポコ、その空気や音も聞こえてきて胸がいっぱいになる。

昭和四十一年五月十九日の日記の最後部分。すばらしい星空の中、庭に松脂の匂いがして。

「 空襲で焼け出されたのが五月の三十日で、六月のはじめの晩、焼け残った荷物を一つずつ背負って提灯を下げて、弟と山の中の一軒家へ登って行くとき、この匂いが一杯していたので、そのことを思い出すのだ。それからあとの胸苦しい羞しい色んなことが、わっとやってくる。自然がいやになる。」

百合子さんのように感情的になりたい。素直に自分のまなざしを持っている方なのだと感じる。いつでも自分という灯台からものごとを照らしている。

 富士山麓にぽつんと立つ一軒家の二階のベランダで、タバコをくゆらせながら富士を見上げる武田百合子。なんとも贅沢な魅力のある光景を勝手にイメージしては、百合子さんのファンになっていった。つい百合子さんと呼びたくなる。今から富士日記を読み終えてしまうことが寂しい。

もう15年くらい前の雑誌ku:nelのバックナンバーに百合子さんの娘さんの花さんのインタビューが載っていた。百合子さんに日記を書くことをすすめたのは、夫の泰淳さんで「日記を書くときは反省は書かなくて良い。したことやしたいことがあれば書けばいい」との言葉。自分に言われたようで嬉しくなってしまう。

武田家へのホームステイをまだまだじっくり楽しもうと思う。

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ETV特集「Reborn〜再生を描く」 GOMAさんのドキュメンタリー

この前、EテレETV特集「Reborn〜再生を描く」という、 ディジュリドゥ奏者で画家であるGOMAさんのドキュメンタリーがやっていた。たまたま見た。以前、「フラッシュバックメモリーズ」という映画でGOMAさんのことは知っていた。

GOMAさんは8年前、車の事故により高次脳機能障害を負い、記憶や時間の感覚などを失ったが、絵の才能を得たという。事故から二日後に唐突に絵を描き始め、それから絵を描かずにはいられず、浮かぶイメージを描き続けている。GOMAさんの絵は点描画で、確か番組内で、事故のときに「光」を見て、そのイメージを書いていると言っていたと思う。

素人目だけど、とても細かい繊細な色使いで、点の集合というところでは草間弥生さんに通じるような印象もある。

でも、GOMAさんは、自分は狂っているのではないかと考えてしまうし、過去の自分と今の自分の間にいる、と仰る。事故に遭う前の自分と違う、今の自分を受け入れられずにいる、と。

GOMAさんは、自分は一体なんなのか、を問いにアメリカへ行き、脳を調べ、近い境遇の人に会いに行く、という番組。

脳を調べてもらうと、後天性サヴァン症候群だといわれる。普段は脳が抑制している回路が事故により変化したらしい。そして後天性サヴァンの人を訪ねる。

一人目は、事故後に音楽の才能が目覚めたという方。事後の5日後に友達の家に行ったら、ピアノがあり、衝動が抑えられず4、5時間弾いたらしい。白と黒のブロックが頭の周りに飛んでいて、その通りに鍵盤を弾けば曲になっていると言っていた。

その方は後天性サヴァンを「自由」と呼んだ。音楽をせずには生きていけないと。事故前よりの今の方が良いと肯定的に受け入れていた。

二人目は、事故後に、線で幾何学模様を書き始め、数学の才能を発揮した方。この方も事故後より“今”を受け入れていた。数学によって今の奥さんとの出会いももたらされたらしい。

最後に50年程サヴァンの研究をされている方のことろを訪ねる。

この時点でGOMAさんはまだ今の自分を受け入れられていない。

その方の経験に基づいた話しでは、後天性サヴァンになった人は自分が狂っているのではという恐怖に見舞われる。そして、他人に自分が狂っていると思われないようにそれを隠す。でも、得た才能と引き換えに失ったものもあるし、何かを失ったと思うかもしれないが、その才能がこれからなくなることはない、と。

もう、失わないんだ、と。

もう失わないのだから、その得た才能を思う存分伸ばせばよい。GOMAさんは泣いていた。GOMAさんは「この瞬間に、新しい自分になれた」と言っていた。新しい自分を受け入れられた、と。

 

なんだか静かにじーんとしながらこの番組を見てしまった。人の“気づき”の瞬間だらけだったからだ。GOMAさんが、気づく瞬間が映っていた。

自分が感じたり持っているけどまだ名前が付いていないもの、というのか、自分の中に埋まっているものを掘り起こしてもらってようやく実態がわかったかのような、気づいたことによる安心、自分への理解が映っていた。それによって恐怖や不安を受け入れられたのではないだろうか。いや、そんなに単純なものだけではないだろう。

もう失うことはないと言われたときの、一瞬で何かが晴れたような澄んだようなGOMAさんの表情に感動してしまった。言葉によって人は救われるんだとつくづく思うのだった。

 

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259598/index.html

 

新年工場見学会2018

新年工場見学会2018を見た。

五反田団の方の「ドラマえもん」。天草四郎をやっていた方が、なんというか、絶妙で、笑わせていただいた。漂っている学生演劇感というか、主人公だからかっこつけてる感じというか、かっこつけてるけどそれと不釣り合いな無防備な身体に、感じる切なさに笑った。発声の感じとかも、どこか繊細さに欠ける力強さが切なかったです。

ハイバイの方は「城山羊の会か別役実のニセモノ」とありました。別役さんは現実の日常的な舞台で登場人物がこの現実世界と少しズレているという場合が多いですが、今回のハイバイでは、未来を想像させるような、現実とズレた舞台でその世界での普通の人達が登場人物だったように感じました。なので、別役作品というよりかは、安部公房筒井康隆の雰囲気に近く感じました。

特別な説明がなく、今ではないどこかの世界かなというだけで会話が進んでいくのですが、流石といいますか、そこにいる人間と人間の間の空気の普遍性というか、そこのリアリティを立ち上げてくれてとても面白かったです。

この、SF要素が少し入ってる感じはすごく好きで、本公演でもこの基軸でやっていただいたものも見てみたいなと思いました。

現実と地続きなところで、より遠く深くそして最後には近いところに連れて行ってくれるハイバイですが、今回みたいに土台から別世界へと連れていってくれて、遠くから気がついたら元の場所に戻っていたという、SFの良作を見たときの感覚がありました。

これを本公演でも見てみたい。ハイバイの遊び心とリアリティをふんだんに使った劇をいつか見れるのかなと楽しみに待つことにします。

 

 

お正月

ここ数年、大晦日は仕事の為見れなかったが、今年はリアルタイムで紅白が見れた。それだけでグッと上がった年末感。嬉しい。物心着いた時から、我が家は大晦日は紅白で、テレビ好きの家族が一年で唯一ザッピングしない番組である。

今年はバナナマンの副音声で拝見。三山ひろしのけん玉チャレンジまさかのイントロでチャレンジ終了の際、歌い始めた三山ひろしに「三山さんもうチャレンジ終わってんだよ!」の設楽さんのツッコミで笑ってから、ラストまで大いに笑わせていただいた。バナナマン当人達が紅白を楽しんでいて一緒に楽しませてもらったみたいで、来年も副音声だなと決める。

バナナマンのLiveは毎年行こう行こうと思いつつ、08年の「疾風の乱痴気」以来行けていない。生で見たバナナマンは二人とも背が高く、舞台映えしてかっこよかった。コントを見ているというか、二人のおしゃべりを聞いていたらコントになっていたという、とてもハイレベルなものを見せていただいた。

紅白は、個人的には、安室ちゃんスーパーフライが同時優勝。

紅白を盛り上げようとしているアーティストにすごく好感を持ってしまう。だからX JAPANもすごく好きだ。

 

紅白からのジャニーズカウントダウンで新年を迎える。

今年は紅白もカウントダウンもTOKIOの長瀬くんの元気がなかったように感じて勝手に心配になる。生放送の長瀬くんに知らず知らずに期待している自分に気づく。一番見ていてスリリングなのはTOKIOで、「山口君のジャンルって何だろう」としみじみ考えていたら新年になっていた。TOKIOは山口くんがツッコミ役に回ることが多いけども、山口くんもツッコミどころがある人で、山口くんを上手に料理できる人が見つかればまたTOKIOはもう一化けするのではないだろうか。

ジャニーズカウントダウンからのCDTVで、aikoはここに居場所を見つけていたのかとぼんやりみて、就寝。

 

元旦は特に用事もなく、近所のベローチェへ。すいていた。でもポツポツといるお客さん。全員一人。元旦にベローチェが開いていてよかった。僕はベローチェがないと生きてゆけないだろう。

武田百合子富士日記」を読む。

毎年夏の間だけ富士山麓の別荘で過ごす家族の日記。

日記なので、唐突に他人の人生が開始されている。最初はホームステイを開始したように読みながら人見知りを発揮するが、三分の一を過ぎたあたりから、その家の中に透明人間になって過ごしているかのように、武田家の生活が、リズムが当たり前になってくる。なんとも心地よい。どんどん、ひんやりした富士の風や強い日差しが鮮明に浮かんでくる。それぞれのシーンが絵葉書のよう。僕もいつか夏の山中湖を全裸で泳いでみたい。

 

2日は父方の祖母とお寿司を食べる。

祖母は92歳で、昔旅館の仲居さんをやっていたから足腰が丈夫。だから一人で生活できている。有難いことだ。お正月だからか、いつもよりとても嬉しそうでよくしゃべっていた。そうだ、お正月はめでたいことなのだ。

そのあとみんなでお茶をして、暗くなる前に父は祖母を送りに行き、僕は実家で母と紅白の話。母は年越しは韓国ドラマのアカデミー賞みたいなのをネット見ていたらしい。母は韓流スターのイ・ミンホのファン。韓流ファンは忙しそうだ。

初詣は実家近くの神社で。今年も末吉。

 

3日は母方のいとこが結婚したので、そのお婿さんも交えてお墓まいりと食事会。探している部屋の話、今している仕事の話など、とりとめのない話を皆で少しずつ。まさに親戚の集まりといった内容で、これはこれで正月の風物詩。楽しく祝福できたように思う。

途中で通りかかったヨドバシカメラで、無料でプロのカメラマンが写真を撮ってその場で印刷してくれるというので、母と撮影。カメラマンに促されて肩を組んで写真をとってもらった。まさにカメラマンのノリに乗せられで肩を組んだわけで、プロってすごいね〜などと言いながら笑った。毎年やっているようで、毎年撮ってもらっているという年配のご夫婦も目にした。思えばこんな風にきちんと親と写真を撮ってもらったことなんてなかったのでよい記念になった。ナイス!ヨドバシカメラ

4日は五反田団とハイバイの「新年工場見学会」を見に五反田へ行った。